
「兵馬俑」って中国語では何て読むの?
世界遺産に登録されている、中国の「兵馬俑」。
「兵馬俑」は日本語だと「へいばよう」と読みますが、中国語では何て読むでしょう?
この記事では、下記について紹介します。
- 「兵馬俑」の中国語読み
- ザックリとした「兵馬俑」の歴史
- 「兵馬俑」は、どこにある?
日本でも時々、兵馬俑の展覧会をやっていますが、兵馬俑に興味があるかたはぜひ現地に行って本物の兵馬俑を見てみてください。
「兵馬俑」を中国語で読むと


まずは「兵馬俑」の読み方を紹介します。
カタカナで書くと「ビン マー ヨン」ですが、音声を聞いて確認してください。
日本語 | 兵馬俑 | へいばよう |
中国語 | 兵马俑 | Bīngmǎyǒng (ビンマーヨン) |
音声はこちら
「兵馬俑」のザックリ歴史


「兵馬俑」とは聞いたことはあるけれど、よく知らないという方に向けて、ザックリ歴史を紹介します。



詳しく知りたい方は「キングダム」か「三国志」を読んでね!
兵馬俑は、秦の始皇帝の墓



「兵馬俑」って何?
兵馬俑とは、秦の始皇帝が作らせたお墓です。
1974年(昭和49年)、中国の住民が井戸を掘っていた時に偶然発見したそうです。
2000年前のものが突然出土するなんて、世界にはまだまだ未知のものが埋まっているのかも?
歴史のロマンを感じますね。
ちなみに日本では「秦の始皇帝」と呼びますが、中国では「秦始皇(Qínshǐhuáng)」と呼びます。
日本語 | 秦の始皇帝 | |
中国語 | 秦始皇 | Qínshǐhuáng |
音声はこちら
秦の始皇帝は、紀元前 247 年に13 歳で王位を継承。
紀元前221年に中国統一を実現。
始皇帝は、当時最先端の政治思想だった「法家」の制度設計に基づき、官僚国家の樹立を目指しました。
始皇帝が優れていたから中国統一できたのかどうかは、何とも言えません。
秦は結局、15年で滅んでしまいましたしね。


秦の始皇帝は、49歳で亡くなります。
兵馬俑が作られたのは、紀元前246年から紀元前208年ごろ
兵馬俑作られたのは、紀元前246年~紀元前208年ごろと言われています。
日本で言うと、弥生時代
紀元前200年と言われてもピンときませんが、日本の歴史でいうと「弥生時代」。
まだ卑弥呼も登場しません。
歴史の教科書で、よくこんな写真を見かけましたよね。


紀元前200年、中国にはすでに「兵馬俑」を作る技術があったというわけです。



当時の中国の技術力、文明の高さを感じるね。
当時の行政文書は、漢字で記録されています。秦の時代には「焚書」が行われましたが(法家以外の諸説を禁じ、実用書以外の書物を焼却させた)、つまり燃やす書物がたくさんあったということですよね。
ついでに言えば、「焚書・坑儒」がセットで行われました。書物を燃やすだけでなく、460名ほどの「儒学者」を生き埋めにして思想弾圧を図り、中央集権化を推し進めました(「坑」とは「生き埋めにする」の意味)。
中国語では「焚书坑儒(Fén shū kēng rú)」と言います。
兵馬俑の大きさ
兵馬俑は、総数約8,000。身長は約180㎝、重さは300kg以上あるそうです。
とんでもなく巨大な墓です。
なぜこんな巨大な墓を作ったのかというと、一説によれば、始皇帝が死後の世界でも秦のような輝かしい軍事力や権力が存続するように作らせたとか。
強大な国であった「秦」は15年で滅んだわけですが、国家統一前は闘いの日々、やっと統一したと思いきや、統一後も民衆を働かせすぎた始皇帝。民衆はクタクタ、怒り心頭だったようです。
始皇帝が亡くなった翌年、農民反乱が起こり、秦の滅亡へと向かいます。
「国虽大,好战必亡」。どんなに大きな国でも、好戦的な国は滅びる。
中国の歴史は、どの時代も学ぶべき点が多いですね…。
「兵馬俑」について詳しく知りたい方は、YouTubeに解説動画がありましたので、中国語を勉強中の方は参考にどうぞ。


兵馬俑は、どこにある?


ザックリと兵馬俑を紹介しましたが、できれば本物を見てみたいですよね。
本物は、陝西省(せんせいしょう)の省都、西安市にあります。
日本語 | 西安 | せいあん |
中国語 | 西安 | Xī’ān (シーアン) |
音声はこちら
兵馬俑があるのは、西安市
西安がどの辺にあるかというと、北京の左下、重慶の右上あたり。
兵馬俑博物館は西安市の郊外にあります。西安市内から車で1時間ほど。
開館時間については、秦始皇兵马俑博物馆の公式サイトをご確認ください。
公式サイト:http://www.bmy.com.cn/
秦の都は、咸陽
秦の始皇帝が都を置いたのは、咸陽(かんよう)というところ。
中国語では「咸阳(Xiányáng)」と発音します。西安市の隣にあります。
日本語 | 咸陽 | かんよう |
中国語 | 咸阳 | Xiányáng (シェンヤン) |
音声はこちら



中国語が難しいのは、発音。
大連の近くの「瀋陽(沈阳)」もカタカナで書くと「シェンヤン」ですよね…ふぅ。
中国の兵馬俑博物館へのアクセス方法
路線バス(西安駅から)
- バス 5番または 307 番に乗り、兵馬俑駅で下車。
- 915番または914番のバスに乗り、东三叉駅で下車。
- 鉄道駅の東広場で バス306番に乗り、芦席安から兵馬俑博物館行きの特別路線バス 307番で下車。306番の運賃は 5.5 元 (高速)、307番の運賃は 5 元。



入場制限を行っている可能性もあるので、ツアーに申し込む方が安全かもしれません。


中国の歴史をざっくり知るのにオススメの本


「歴史が長すぎるし、文献も多すぎてよく分からない…」のが、中国の歴史。
まずはざっくり全体をとらえて、そこから気になる時代にフォーカスしていくのはいかがでしょうか。
下記の本なら2日程度で読めるボリュームなので、全体を知るのにおすすめです。秦の統一についても書かれてありますよ。
大人になってから改めて高校の教科書を読んでみるのもおすすめです。「こんなに勉強したかな…???」というくらい、細かく書かれてあります。


中国に行く機会があれば、中国の大型書店に行って「历史」(歴史)の本を探してみるのもおすすめです。
日本ではなかなか中国語の本を手に入れるのが難しいので、現地でぜひ探してみてください(大型書店に行かないと、歴史書はあまり置いてないので、行くなら大型書店で。)
中国で書店といえば『新华书店』が有名です。ちなみに中国の書店でVISAカードは使えませんから、本をたくさん買うときは要注意。
おわりに
この記事では、「兵馬俑」の中国語読みと、ざっくりとした歴史を紹介しました。
私は1980年代に西安の兵馬俑博物館に行ったことがあります。物心ついていないときに行ったので、ほとんど覚えていませんが、家のアルバムに兵馬俑博物館や咸陽博物館の前で撮った写真が残っていました。


「田中角栄の日中国交正常化交渉」の映像並みの色褪せっぷり(笑)
でも、この写真を見ながらあの当時の中国を思い出すと、今の中国はまるで別世界。
わずか数十年で、世界はこんなにも変わるんですね。
もう一度、西安・咸陽に行ってみたいなぁ…。